《在り方・現れ方 since 2000〈Window〉》にみられる「触感伝播性」をめぐって
日置 瑶子 Yoko Hioki
大阪大学 文学研究科 文化表現論専攻 博士前期課程2年
批評は誰のためにあり、どのようなモチベーションで書くべきかだろうか。現代においてどのような役割を果たしているだろうか。既存の理論の援用や特定の思想と作品の接続は必要だろうか。美術作品の批評にあたり、「評論を書くこと」について様々に考えを巡らせたものの、それぞれの疑問に答えを出すことができない。そこで今回は、美術作品を記述する上で重要であることが疑いのない、作品を仔細に観察することから出発して、批評を行いたい。すなわち、(1)出品作品のうちいくつかを取り上げ、実見に基づく作品記述を行い、(2)そこから導かれた制作プロセスやメソッドを、比較の必然性の高い外観の似た他の美的なものと比べることで、ブース氏の独自性を考えていきたい。
*
さて、今回正式に出品されている作品は、全て木製のパネルが支持体となっており、画布を介さず、パネルが直接のミディアムとなっている。また、正面だけでなく、側面にも正面と連続した処理が施されているため、支持体全体が1つのオブジェクトかレリーフのようにも見える。さらに、これらには全て支持体の形を内部に反復する同心円状の模様が描かれ、明確な中心持つ、左右対称を基本とする構造となっている。
作品をミクロに見ていくと、その重層的なテクスチャーや光沢のために、自然とその制作プロセスに関心が向かう。彼の作品制作のメソッドは、大きく分けて2つに分類できる。1つは、物理的な制約に抗わず、与えられた条件に甘んじて従う方法で、主に形態の決定に関わる。もう1つは、即興的で、偶然に任せた方法であり、主に色彩やテクスチャーの決定に用いられる。例えば《Elaborate Negation》(2011)は、一番初めに細長い粘着紙を縦、横、斜めにパネルを横断させて貼り付けてあることが分かる。この素朴な操作によって作品が基礎づけられている。重なり合う粘着紙は、画面に格子模様のような凸凹を作り出し、作家はそこに現れた長方形を1つの単位として、赤、黄、青などの絵具で着彩している。次に中央部と外周部を薄黄色の合成樹脂絵具で塗り、その上から同心円状の切り込みを入れ、その切り込みに沿って光沢のある紫色のアクリル絵具を塗っているように見える。ここまでは、最初の操作で出来上がった凸凹、支持体の形という物理的な条件に準じた形態を至極丁寧に描き出している。一方で、色彩の決定に必然性は無く、特定の対象を指示することも無いため、純粋に作家の美的感性が反映されていると言える。続いて、オレンジ色と黄色のリング状のスタンプが中央部と外周部に無造作に、同時に黄色に塗られた部分からははみ出すことなく、押されている。さらにその上から、基盤の格子模様合わせてアクリル絵具と思われるオレンジ色、青色、黄色が塗られている。これらの段階では、散逸する小さな円は即興的で、また、最後に定着しにくい絵具を採用することで乾いた後に予想できないテクスチャーとなるよう処理されている。しかし、それらもまた同心円や基盤となっている格子模様の生み出す範疇に依拠する形で存在している。
《Elaborate Negation》の3年後に制作された《Mirror Neurons》(2014)では、偶然性や即興性の方が優先されている。この作品のベースを構成している粘着紙は長方形で、外側から内側へ向かって画面を覆っている。しかし、本作では作品の通底音とはならず、描かれた形態や模様とは別個のテクスチャーとして与えられている。また、同心円が構図の骨組みとなっている点は《Elaborate Negation》と同様だが、作品の物理的な条件とは関係の無い、太い不規則な面が画面の秩序を乱すように配置されている。さらに、同心円状の形態、不規則な形態、主に赤色や紫色で塗られたそれ以外の面には、それぞれ異なるテクスチャーで磨かれたマーブルのようなモザイク模様が現れており、これは日本画の技法でいうところの「垂らし込み」に似た方法で描かれたと思われる。つまり本作の表面も、乾くまではどのような模様になるかは分からないという、不確定な方法で仕上げられている。
次に、これまでの観察を踏まえた上で、比較を通してブース氏の作品の独自性の記述を試みる。外観や制作プロセスに類似性のある作品を敢えて挙げるとすれば、フランク・ステラの《Sinjerli Variation》シリーズだろう。分度器シリーズに続く円形のシェイプト・キャンバスを用いた作品で、円形の支持体であるというだけでなく、キャンバスの形から演繹して構図を決定するという点で、ブース氏の必然に関わる制作方法と似ている。しかし、ステラの《Singerli》にはブース氏の絵画に見られる工芸的とも言える重層性は無く、イリュージョンを排した平面が強調されている。また、ステラの作品が常に同じ調子で描かれ、人間性を感じさせない「ハード・エッジ」な仕上げであるのに対し、ブース氏の作品には偶然やエラーを散見でき、作家の身体性が浮き彫りになっている。作家本人も「儀式的」と表現しているように、ブース氏の作品における同心円のシステムは長い時間を掛けてその位置が決められ、そこに色を丁寧にアプライしている。そこで、もう1つ類似を指摘しておきたいのが砂曼荼羅である。砂曼荼羅は、チベット密教における修行の一種で、僧侶たちが瞑想を行いながら数週間掛けて制作する砂でできた曼荼羅である(曼荼羅とは、仏の悟りとその世界観を象徴的に表す図像で、密教の修行僧は曼荼羅を観想して仏の世界を心に思い浮かべる)。同じ円形であるということは言うまでもないが、制作過程で出来上がってくる規則に身を任せながら、直観的に色彩の決定を繰り返すというブース氏の制作プロセスは、まさに「修行」とも表現できる肉体的研鑽のようである。これは無論、作家の身体の個性を知った上での所感でもある。だが、執拗に、かつ冷静に塗り重ねられる絵具や、微視的な観察を余儀なくされる表面の細やかな仕上げは、何か宗教的とも言える目的意識を感じさせる。このような「儀式的な」プロセスと、そこに浮かび上がる作家の身体が、作品の持つアンタッチャブルな神器のごとき空気を支えているのかもしれない。