なめらかな闇から現れる人体

中澤菜見子 Namiko Nakazawa

大阪大学大学院文学研究科 文化表現論専攻

美学研究室 博士前期課程2年

Gallery AMI&KANOKOの白い壁の上に飾られているのは、いずれも暗い背景から、鈍く浮かび上がる人体。それも全身ではなく部分、とりわけ手である。手、手、手、画面いっぱいの男たちの手には、深く刻まれた皺、その皮膚は厚く硬い。積み上げられたたくさんの手は、お互いの労働をねぎらい讃え合っているかのようにも見える。握りしめられた4つのこぶし、骨ばって、血管が浮き出たそれらのこぶしもまた縦に重ねられ、まるで4つでひとつの生き物であるかのように結びついている。他にも、例えば背中。背を丸め、腕と頭をすっぽりと隠した人物の、こわばった筋肉、背骨…今回展示されたすべての作品は、極めて男性的な印象を私に与える。しかし決して汗のにおいがしてきそうな体育会系、というわけではない。モチーフと鑑賞者との間には、どこか薄い皮膜のような隔たりがあって、作品全体は十分に力強く重厚でありながら、静かで洗練された雰囲気を纏っている。

Kim Cheol Kyu氏は一貫して人体を描く。「描く」というのは、実は正しくない。というのも、Kim氏はカンヴァス上に幾重にも塗り重ねられたアクリル絵具を、サンドペーパーでこそげることによってモチーフを表現しているからだ。作品の前に積まれた絵具の削りかすによって、その製作過程が示唆される。精緻に「削り出された」モチーフは、遠くから見ると写真であるかのように見えるのだが、近づいて見てみると表面にはハケの跡があったりして(このハケ跡は実際に絵筆で描かれているのだが)、それでこれは絵画だったのかと思わせる。しかしさらによく見ていくと、部分的にカンヴァスの布目がわかるほどに、絵具をこそげた部分が見えてきて、絵筆ではこのような表面にはならない、と気づく。そして闇から浮かび上がるような人体の輪郭の柔らかさと美しさ。この絵はいったいどうやって描かれているのか。作品にどんどん引き込まれていく。

サンドペーパーでこそげる、という特殊なやり方が、Kim氏の作品に洗練と落ち着きとを与えている。身振りがすなわちモチーフのかたちとなる絵筆の場合と違って、Kim氏の生み出すかたちは削るという小刻みな動作の連続から成り立つ。どちらかというと彫刻のほうに近いそのかたちの生み出し方は、モチーフにまろみを与えている。男性的なモチーフの荒々しさは、時を経た建築物が風化によって味わいを増し、周囲に溶け込むように、灰汁抜けして目に馴染む。なめらかな闇から現れる人体は、絵筆では表現できないであろう独特のとろけるようなコントラストを持っている。一度見たら、忘れられない風合いである。なまじ直接的でないだけに、モチーフの力強さはより純粋なかたちで見る者に伝えられる。シンプルなメッセージが、職人技にも似た洗練をもって私たちに迫ってくるのだ。  2012/7/13