3月30日(土)評論を書くことを考える会 於:画廊 編 ぎゃらり かのこ

松岡 佳世(大阪大学美学研究室D1)

芝高さんの版画の線は、「無垢な線」とも呼ばれるほど、余分なものを一切取り除いた力強いリズムをもつものとして評価されてきました。特に、1976年にモーリス・ブランショ『白日の狂気』訳の挿絵として制作された作品の線はその真骨頂といえるでしょう。立体を構成するようでいて、その全貌を容易には明らかにしないまま、芝高さんの線は鋭さ以外のものをひたすらに捨てつつ、増殖し続けています。その様子は、無造作に触れようとすれば壊してしまいそうな、閉鎖的な危うさを秘めています。

しかし、近年の作品の中では、こうした鋭さよりも、より重層的な表現が目立ちます。とりわけ今回の展覧会では、万葉集12巻にある作者未詳「紫は灰指すものぞ」という和歌を中心にした会場構成がなされていることは重要です。そこで、私の発表では、「技法」と「逸話」の重なり、という点から、芝高さんの今回の展覧会について、お話したいと思います。

入って右手の壁面、赤と黒のシリーズから注目してみます。このシリーズでは、赤い版と、黒い長方形の版が重なりあっています。芝高さんは、同じ赤い版を繰り返し用いて、作品を制作しました。しかし、その重なり方はすべて異なり、モノタイプ、つまり一点物となっています。そして、この版の転用により、壁面の5作品が連続的につながってきます。

また、黒い版は、よく見ると端の部分が少しせりあがっており、水の入ったグラスを傾けたようなフォルムを持っています。これは、腐食液に浸すときに、版のすべてを浸すのではなく、一部を浸すことで、腐食液の液面が版に反映されることによります。こうした液のあとを残すやり方としては、液だれを利用した別の作品もあり、これまでの芝高さんの技法にも見られるものですが、今回は液だれの平面的な動きよりも、技法としても高さ(あるいは深さ)を持つものであることがわかります。また、作品だけをみても、長方形のあとがエンボスで残っていることで、何らかの器のなかの液体の「高さ」を想起させます。

重ねられた平面的な版の連続と、液体の「高さ」によって作られる版。抽象的な2色の版が、立体的な動きを伴って見えて来ます。

 

そして、先ほどの赤と黒のシリーズをさらに考えるなら、地面に置かれた作品をとりあげなければなりません。この作品の「海柘榴」は、会場の作品に逸話を重ねる存在です。

「海柘榴」はこの会場にもある作品のように、以前から芝高さんの版画によくあらわれるものでしたが、これには古き地名としての海柘榴市も重なります。海柘榴市は、現在の奈良県桜井市付近にあたり、古くから仏教伝来の場所であるがゆえに仏教排斥の場所であり、男女の交わりの場所であるがゆえにそのもつれから歴史を変えてきた場所です。

この立体作品の中を見てみましょう。「紫は灰指すものぞ」という言葉は、紫染めが海柘榴の灰汁を指すことで発色することから、海柘榴の枕詞となっています。さらに、外から見える正方向の「紫は灰指すものぞ」という文字は、版画として刷られれば、反転します。閉じられているのはネガとしての歴史を孕んだ正史といえるかもしれません。高貴な色、正史としての紫は、不要なネガとしての海柘榴の灰(灰汁)のような歴史を指すことで、あるいは閉じ含むことで、色みを増してきたのです。

さらにその上には、日章旗を思わせる赤い丸が刷られ、またも重ねられて箱に入った版画と、それを一息に突き刺す彫り具があります。このそれぞれの版画の間には、海柘榴が刷られた薄紙が入っています。普通なら、この薄紙は作品同士の摩擦を防ぐための分離のために使われます。しかし、そこには海柘榴、つまり花ごところりと落ちることから、死を意味するといわれる花が刷ってあります。死を間に挟むことで連続するものとなった日章旗の層を、芝高さんの彫り具が深く貫きます。

この作品において、芝高さんは刷られた版画作品をあえて見せることはありません。その代わりに、版画のもつ反転や層といった機能そのものを素材として、自らの彫りへの態度を海柘榴にまつわる逸話と重ね、立体的に見せています。

 

最後に、入って左の壁面のCARNIVALのシリーズに眼を移してみます。これは芝高さんが取り組んできた、ボッティチェリ<ヴィーナスの誕生>の線をゆるやかに解体した線による作品です。よく見ると、この画面の中にヴィーナスの手や耳が現れていることがわかります。こうしてまた、ひとつの「逸話」が芝高さんの版画の線に重なります。

「解体」といいましたが、画面でからまりあい、漂う線と重ねられる色は、むしろヴィーナスを生む前の海と、ウラヌスの精気の交じり合う混沌とした状態を示しているように私には思われます。ここで重要なのは、ヴィーナスの生まれる海のイメージではないでしょうか。

芝高さんは、この画廊での展示に際し、太古の昔、大阪の大部分は海の底であったことを意識したといいます。また、海柘榴市は難波津の港から大和川をさかのぼり、隋からの使者を迎えた港としても栄えた場所でした。ボッティチェリの海のイメージと海柘榴市の逸話がこの会場に重なってくるならば、最初の赤と黒のシリーズで表されていた抽象的な高さと平面の連続は、海の深さと陸地形成のせめぎあいとして捉えられるでしょう。会場は、ここで万葉の時代からさらに古く、太古の大阪と海の関係へと遡ります。

そこには線の無垢はありません。芝高さんの今回の展示における版画の「技法」は、地理的、時間的に広がりをもつ「逸話」の重なりを鑑賞者にひらく、媒体の無垢としてあることを引き受けています。