《在り方・現れ方 since 2000〈Window〉》にみられる「触感伝播性」をめぐって

日置 瑶子 Yoko Hioki

京都大学大学院人間・環境学研究科 共生人間学専攻思想文化論講座 創造行為論分野博士後期課程在学 (2018年現在)

キャンバスのうえに油絵具を乗せた筆を用いてイメージを伝えるという一般的なやり方があるけれども、大野浩志は1990年からまったく別のことをやり始めた。彼は自分のイメージを伝えるのではない。彼が伝えるのは、素材とする木材にペインティング・ナイフに乗せた絵の具で触れたときに直に感じた、あるがままの触感のありようだったのである。

彼は、細長い木材の表面に1ミリよりも薄い厚さでプルシャンブルーの油絵具を塗り、油絵具が乾燥したらまた塗るということを繰り返してきた。《在り方・現れ方 since 2000〈Window〉》と題された作品もまた、木枠から垂れた木材の片面に油絵具を薄塗りし乾燥を待って再び上塗りするということを繰り返したものであり、その塗りは現在も続行中である。ただし、彼によれば、本作は塗りが続行中であるからといって未完成ではなく、塗り終わるたびに完成した作品になるという。

この作品は、これまで観る側が触れることができかねた、作家が油絵具で素材に触れて作品を完成させる瞬間までの触感を、伝えて広げている。本作におけるプルシャンブルーを重ねたことで生まれた深い藍色の凹凸のありようは、作家が意図して生み出したものではない。それは全くの偶然によるものだ。その凹凸のありようは、油絵具の重なり具合とペインティング・ナイフの扱い方の差異によって、ある日突然表出したものだ。深い藍色の油絵具の絨毯に突如としてあらわれた予想外の出っ張りやへこみ。こうした凹凸に触れたときのペインティング・ナイフの滑らせにくさ。本作はそうした微細な触感を、作家の内側だけにとどめずに観る側に伝えてくる。藍色のマチエールは、偶発的に生まれたゆえに驚きを伴った、触感の痕跡である。こうした本作から観る側は、作家がペインティング・ナイフを用いて絵の具で表面を描いたときの触感を追体験することになるだろう。本作にみられるような、他の誰かが作家本人が作品を制作する瞬間に得ただろう触感のありようを追体験する性質を「触感伝播性」と呼ぶことにしよう。冒頭で色面や形象でイメージを伝えることが一般的であるいっぽうで彼の作品はそうではないと述べた。その理由には、本作がイメージを表現しているというよりむしろ、制作から完成までで作家が知覚したであろう繊細な触感を、観る側に差し出しているからである。

では、これまで体験しなかった別な触感のありようを追体験する効果、つまり「触感伝播性」の効果とは何であろうか。それは追体験することをとおして知らず知らずのうちに、観る側が自分の内側に自分によるものでない触感を定着させるところにあるだろう。というのは、知らず知らずのうちに、観る側は自分の内側に自分でない作家の触感をなじませていって、まるで増床させていくかのように自分の触感で得られなかった領域にたどりつくことができるようになると思われるからだ。その結果、しまいには観る側は自分で自分の知覚を拡充していくのである。

おわりに、本作は作家が「こうでなければいけない」の傍を歩むことで生まれた作品である。「こうでなければならない」とは、冒頭でも触れた、キャンバスの上に筆で絵の具を塗ってイメージを伝えるという、ある種の美術の規定である。油絵具を用いつつも規定から一定の距離をとったことで、彼は新たなやり方を手に入れた。すなわちそれは、意図した視覚イメージを表現するのではなくて、あるがままの触感のありようを表現するというものである。