建築に隠されたことば 日本語+中文

大阪大学美学専攻 張馳  (留学生)

 Gallery Ami-Kanokoに足を踏み入れてみると、壁に飾られているのは、様々な建築設計図と写真。室内には住宅模型二つが展示されている。設計図には住宅の構造、面積、周りの環境などが詳しく記録されている。また、数種類のスタディー模型もあって、屋根の形がどういうふうに変化したかがわかる。よく見ると、住宅模型は緻密で、蛇口のような細かい部分まできちんと作られている。緻密——これは畑友洋氏の建築が最初に与える印象だ。

 今回は西岡本の家と諏訪山町の家の二つのケースが展示されている。西岡本の家の場合には、傾斜地に建つ個人住宅で、斜面へのアンカーを水上、水下に一か所ずつとし、柱を2本ずつ立て、住宅全体が斜面に寄り添う。上部には大きな段型虹梁を柱頭に乗せてある。こうして空間が三つに分かれて、大地の層、居住空間の層とテラスの層となる。住宅が大地から離れるという形は思わず「吊脚楼」を連想する。吊脚楼または吊楼吊脚楼と呼ばれている、中国の西南の少数民族の伝統的な木造住宅だ。山に囲まれたうえに勾配がかなり急で、気候も蒸し暑いという厳しい環境から吊楼という住宅が生み出された。斜面に対して、水平な二段階の平地を設定し、斜面の低い方に柱を立てて住宅を支えるのが吊楼の構造だ。だが西岡本の家の場合には斜面の環境をそのまま保っている。そして、段型虹梁が住宅の重さを分担し、真ん中の部屋が段型虹梁に付いている状態になる。建築として独自性が感じられるとももに自然と融和している。

諏訪山町の家の場合には住宅の機能が重視されたように見える。二階建て、大きな庭、南向きのキッチンとテラス。住み心地いい家だと思う。「空間と住人がつながるべく、その人がいたからこそ生まれてきたような家を創ることを心がけています」と畑氏は言う。家族内部の変化によって、部屋それぞれの機能も変化する。そして、毎回の変化からは生活が前に進んでいることがうかがえる。時間が流れいく。人生が流れいく。生命の最期を見送って、また新たな生命を迎える。人が住宅を舞台に物語を上演している。長い歴史のなか、建築はずっとわれわれを見守っている。

個人住宅設計にいままで触れたことはなかった。そもそもこの概念は中国ではまったく空白の領域だ。中国の都市では、開発業者によって標準化された団地に住むのが一般的だ。住宅が個性を失っていて、住人の要望に沿わない設計もよくある。今回初めて建築評論を書いたことが、住宅と人間、住宅と自然の関係をもう一度考え直す斬新な体験になった。また機会があれば、今回のように愛情で満たされた建築をもっと拝見したい。

 

藏在建筑里的细语

  踏进Gallery Ami-Kanoko首先映入眼帘的,就是装饰在墙壁上的各种建筑设计图和照片。同时摆在房间里供人欣赏的是两个小巧的建筑模型。设计图都是关于两所建筑的具体数据,比如住宅的构造,面积,周围的环境等诸多信息。另一面墙上装饰着几种很有趣的房屋模型,它们的底部构造都相同,不同的只有屋顶向着不同的角度倾斜。实际上这展示的是建筑师在构思最合适的屋顶的设计过程。静下心来看时,会发现这两个住宅模型的构造十分精密,连水龙头这种细小的部分都还原了。精密——这是畑友洋先生的建筑最初带给我的印象。

这次展出的两个模型分别是西冈本的家和诹访山町的家。先拿西冈本的家来说,这是一幢建在斜坡上的私人住宅。首先在上坡处和下坡处两个位置各打入结实的锚,然后在锚上立起两根柱子,使得建筑整体呈现出依附在斜坡上的姿态。而坐在柱子上方是大型的段型虹梁。这样使得空间分为三个大的部分,大地层面、室内层面和屋顶的层面。像这种住宅不直接建立在地面上的建筑不由得让人想起“吊脚楼”。吊脚楼也叫做吊楼,在中国西南的少数民族的居民区中十分常见,也是他们的传统的木造建筑。西南地区崇山峻岭气候闷热潮湿,在这种先天条件恶劣的情况下吊脚楼应运而生。要建造吊脚楼首先需要将一块山坡修整成为有落差的两段平地,如同楼梯的台阶一样。然后在下方立起数根柱子用来作为住宅的支撑。但是这种吊脚楼不可避免的会一定程度上影响原本的地表环境,而西冈本的家是在对原有环境的完全保持下建造的。同时段型虹梁也作为建筑的承重梁,使得中部的房间吊挂在虹梁上。这一点能让我们感受到作为建筑的独特性和对于自然环境的融合。

再来看诹访山町的家,相比这下这个建筑更注重住宅本身的机能。二层建筑,宽敞的庭院,朝南的厨房和阳台,不得不说这是住起来很舒适的建筑。“空间和居民应该系在一起,因为有了那个人所以才能诞生的家,我想建造这样住宅”,畑先生这样说道。一个家族内部的变化,一定也使得各个房间的用途发生着变化。而这每一次的变化都意味着我们的生活在不断前行。时光流逝,生命流逝。在住宅中我们送走那些老去的生命,又迎接着新生命的到来。人们就在这住宅的舞台上上演着自己的故事。这漫长的时空岁月中,建筑一直一静默地姿态守护着我们。

至今为止从未接触到关于私人住宅设计这一方面。实际上这个概念在中国还处于空白领域。在中国的城市里,大部分人都是居住在由开发商建造的团体居民区里。作为住宅来说,它们失去了自己的个性,同时设计上也有很多不合理的地方。虽然这是第一次做建筑评论,但不失为一次契机,让我有机会对住宅和人类,住宅和自然的关系重新思考,是一次全新的体验。假如还有机会的话,很想再次拜见像这样充满了感情的建筑。