メビウスの輪

小田昇平

奈良藝術短期大学等非常勤講師

人に動いてもらうこと、とりわけ自分だけのために人に何かをしてもらうこと。面映いけれど、うれしいもの。わたくしたちの生活には、実は身近にそんなことが溢れている。髪を切ってもらうこと、シャツを仕立ててもらうこと。誰かに何かをしてもらうということは、自分が認められたようで、なんとも誇らしい。注文を伝え、その意を得て仕立てあげられるものごとは、自分だけのものだから。しかし当然、その分の責任は重くなる。髪型にご不満があれば10日以内にいらしてください、またパーマをあてましょう。袖がイマイチ野暮ったい、なら2日ください、スリムに絞っておきましょう。このようなアフターケアがしばしば行われるのは、その責任を果たすためだ。というのも、これは自分のために仕立ててもらうこと、つまりはオーダーメイドなのだから。

 

しかし、オーダーする側はといえば、おそらくは専門家ではない。してみるとオーダーを受ける側は、その曖昧模糊としたクライアントの言葉をよく吟味し、余計なものを削ぎ落とし、その本質を捉える必要がある。専門家ではない人のイメージを、専門家が彫塑して仕立てあげる。クライアントが抱く理想的なイメージを、より正確には理想的なイメージを描いていると考えている言葉を、専門家は自分というフィルターを通して実現しようとする。オーダーというのは存外、共同作業なのだろう。しかしこの共同作業は実現不可能なのではないか。二人のみているもの、考えているものが同一であるなんて保証はどこにもないではないか。それだから、この試みはしばしば失敗する。髪を切ってもらったばかりなのに前髪をいじる、ダンディでもないのに鏡を気にしてしまう。専門家が少々の手直しを許容するのは、イメージの伝達がうまくいく保証などないという裏付けとなる。

 

とはいえ、このイメージの伝達は、たとえ両者のイメージがうまく伝わっていなくとも、お互いに満足が与えられる場合もある。前髪ぱっつんもいいな。襟が丸いのも案外格好いいじゃないか。どちらに転ぶかは、当人次第となろう。いづれにしても、イメージのすり合わせは二言三言の会話なり、クライアントの実寸なりから形作られていく。そしてイメージが現実のものとなったとき、満足が与えられるか否か。満足が与えられるならば、それでいいじゃないか。オーダーメイドの巧拙を判断する基準の一つとして、このイメージのすり合わせをうまく転がして、満足を与えられるかどうかをあげることが許されるだろう。満足が与えられるならば、専門家が自身の痕跡を残しても罰は当たらない。シャギーを入れるときのクセ、シャツを作るときのパターンのクセ。気づかないうちに、あるいは気づけないように、共同作業主の跡が導入されることもあるだろう。兎にも角にも、まずはクライアントに満足してもらうことが、オーダーメイドに要求される。

 

オーダーメイドの対象が身体、衣服とくれば、次は自ずと建築となる。建築をオーダーすることは、時間的にも費用的にも、あるいはその素材からみても、より多くのものが要求されることだろう。慣れ親しんだ自分の身体や自分の衣服とは異なって、サイズも材料もより馴染みのない建築だから、クライアントの要求はより曖昧なものとなるだろう。あるときにはイメージは具体的であろう、家族構成は何名、畳の部屋がほしい、書斎がほしい。またあるときには抽象的であろう、人が集まるような家がいい、空気感を感じさせる家がいい。建築家はイメージを彫塑して、さらにはそのイメージを、サイズや工法が限られた土地に定着させる必要がある。クライアントに満足してもらうために必要な、幾つものイメージが入れ子になって押し寄せてくる。建築家はイメージを交通整理し、かくあるべしという配置を模索し、それを実現することで、クライアントへ満足を提供する。満足を提供するための工夫、イメージを実現するための手腕。それはいかなるものであろうか。

 

例えば、住居。平屋でも、中庭付きの家でもなく、中庭付きの家に屋根を備え付ける。そうすることで、中庭だった場所にゆったりとした空間を可能にし、それぞれの部屋は部屋の中にある部屋として、断熱効果やプライバシーの確保などを提供することができる。

 

例えば、エステサロン。同じく中庭付きの建物に屋根を備えることで、それぞれの部屋がプライバシーを確保する小屋となる。他人に知られたくない美しさの追求といった努力、そしてその痕跡を隠すため、たとえ同じ建物の中でも施術者以外には会いたくない、そういったクライアント(のクライアント)の要望を叶えてくれる、特別感を与えることになろう。

 

例えば、宗教建築。人が集まる場所を一旦小部屋で覆い、そこにふんわりと屋根を載せる。それによって小部屋が備える屋根と、一番大きな屋根との間に入り込む光が乱反射し、直接光ではない間接光にもかかわらず、明るい空間を提示する。

 

展示された建築模型や実際の建築空間の写真をみると、屋内であるにもかかわらず、その部屋には屋根が備わっている。屋根の中に屋根があり、屋内の空間に街角がある。その街角や屋根は、美観を提供することはもちろん、屋内にさまざまな役割を提供する。屋内の街角は、外気に由来する暑さ寒さを緩和する緩衝材として機能する。さらには「お引越し」、配置換えをすることによって、景観を変えることができる。屋内の屋根は、窓から入り込む光を集める機能も果たす。屋内を外部の光で直接照らしだすのではなく、集めた光を反射させて優しく照らしだすことだろう。内部空間に備えられた小さな街としての建築は、その必要とする機能と、その機能を可能にするためのデザインとを備えている。なんらかの目的に適うということ、それは善いことだ。してみると、目的に適うないしは目的を果たすそのデザインは、善いデザインといえるだろう。このデザインの要諦は、屋内に屋根を設置することがつくりだす構造、すなわち入れ子構造にある。この入れ子構造を採用することで、建築家はクライアントに満足を提供しようとする。先のイメージの入れ子構造、実際の建築空間の入れ子構造、そしてクライアントの、建築家の、あるいはその建築を訪れる人々の要望や欲求がなす入れ子構造。このようないくつかの入れ子構造が、実際に入れ子構造として提示、実現される。

 

この入れ子構造が可能にする、実際に画定される空間上の利点、断熱性の確保、集光性などといった実用的な利点とは別の利点は、交換可能性である。満足を与えるためにパーマをあてなおしたり、袖を細くすることと同様に、部屋を交換してしまうことを可能にする。実利的な可能性を提示するには飽き足らず、さらには内面と外面との交換可能性までも提示される。屋根は本来、外にあるべきものである。しかし屋根が屋根の中に存在する、つまり屋内にさらに街角をつくりだすことによって、屋根は部屋の屋根となり、外面であったはずのものが内面となる。あるいは内面にあるはずの空間は、光を集める役割も果たす屋根を持つことで外面とつながり、内面が外面となる。身体、衣服、建築と、自身から距離を隔ててきたはずのものがより身近に、あるいは同時により広範に拡張する、そんな可塑性が垣間見えてくる。