EVENT Opening Reception & Artist talk

David C Driskell/デイビッド ドリスケル

アフリカンアメリカンのアーティストの第一人者の一人と数えられる作家
1931年6月生まれ。現在、ワシントンDCに在住 日時 1

オープニングレセプション/Opening Reception
11/25(MON) 17:00~

アーティスト・トーク/Artist Talk
11/25(MON)18:00~

* デイビッド・ドリスケルのビジネス&アートマネージャのRodney D. Moore氏が米国/ワシントンDCより来日いたします。

作品について、また作家として彼の長年の制作についてお話しいただきます。
同時通訳:豊泉 俊大
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David C.Driskell 展。アーティストトークはビジネス&アートマネージャのRodney D. Moore氏が来日して担当。
デイビッド・ドリスケルについてここでぼくが紹介することは難しい(この手の記事では毎回言ってる気がする)。詳しくはギャラリーのサイトを参考にしていただくとして(2013年のに詳しかったです。http://ami-kanoko.com/exhibition/david%E3%80%80c-driskell%E3%80%80/)、ぼくの拙いヒアリング力と、ありがたいことに同時通訳してくださった方の澄んだ日本語に対するぼくの気怠い理解力を以ってすると、アフリカンアメリカンを代表する美術作家の一人であり、現在は88歳と高齢。ワシントンD.Cに暮らしており、ニューヨークのギャラリーを中心に活躍している超大物、とのこと。
学生時代には歴史学を専門としていたが、ある時美学の教授から君は作家になるべきだと告げられ、専攻を転向。キュレーターや教授といった職も持ちながら、アフリカンアメリカンの作家たちの作品を世に出しつつ、自らも様々な作風の作品を製作し続けてきた。
今回の展示でも、一階二階に版画やドローイング、コラージュなどが並んでいた。出不精で不勉強なぼくにとって、はじめてのデイビッド・ドリスケル。色彩の中に黒、という印象が残った。ある方が、音楽を聴いているようだった、と感想を述べられていて、なるほど、と思う。作品の前に立つ時、イヤホンから自分だけに音楽が聴こえているかのような空間。華やかな暗さ。なるほど。夜に観たのが、また良かったかもしれない。
日本時間18:00。ニューヨークは4:00。時差ボケを感じさせない朗らかな表情で、マネージャーのロドニー氏は話し始めた。
アーティストトークは緊張感と和やかさの中で進行した。ぼくの英語力は謙遜でも何でもなくほとんどゼロ。2割も理解できていれば良いところだと思う。多くの参加者はロドニー氏の声に頷いたり微笑んだりしていたので通訳不要だったのかもしれないが、ぼくは通訳がいてくれて助かった。同時通訳である阪大美学博士課程の彼が訳に困ったりする時間は、とても良かった。少なくともぼくにとっては、彼が訳すのに困るのが何となくわかる気がしたし、それがなぜなのかをうっすらと考えるのは、考えるに於いてとても充実した時間のような気がした。
また、ロドニー氏の大きな体躯から響く声も心地よかった。お酒が飲めない身体のため、ほんの少しだけワインをいただいたせいか、お腹も空いた。目の前のテーブルにあるどら焼きを食べたかったが、残り一つしかなかったので遠慮し我慢した。
さて、今回もレポートというよりは、純然たる日記です。せっかくお誘いいただいても、毎度それしか書けません。
ごめんなさい。
話はアーティストトーク終了後に、各々が立ち話をしていた時のことから始めようと思います。
今デイビッド・ドリスケル氏の展示をここ大阪で開催出来るというのは、奇跡のような、というか、様々な人々の、もちろんドリスケル氏本人の思いや、オーナーの思い、また関係する人々や、また、ここにいるその作品を見たいと思う人々の好意(それこそ何と訳すのが良いんですかね)の元に実現したものであり、ニューヨークの由緒ある大きなギャラリーと、大阪千日前のギャラリーと、同じ作品が並ぶことに感動を覚える、と。
そうだ。
そのこと自体が、デイビッド・ドリスケル氏の作品や活動というものと同じなんだよな、アメリカンアフリカン、ジャパニーズアメリカンアフリカン。内容と入れ物、正攻法だけれど、やはり実際に真っ直ぐ物語という額に嵌っている作品を観ると、良いなー、と考えていた。
私アベサトルも、半年前にここで個展をさせてもらった。私は作家ではありません。絵や美術を勉強したこともないし、子どもの頃から絵とか工作で褒められたこともないし、苦手で、大人になって描き始めたけれど、目的とかテーマみたいなものがあるわけでも無かった。ただただ、子どもの頃よりは描けるという喜びに浴し、また(当たり前だけれど)描きたくないことを描かなくていいことに向き合う(?)ド素人です。
そんなアベサトルの個展もやるし、デイビッド・ドリスケルの個展もやる。どの立場で言うのか恐ろしくなりますが「編かのこってのは懐が深いなぁ」などと軽口を嗜んでいた。
こういうことを言うと叱られるかもしれないが(誰に?)、ぼくはアーティストトークの最中も、その直前に二階で作品を眺めてる時も、「この作家さんとぼくは近しいものがある気がする」「またまたまた、やめときなさい、そういうの」「いや、絵だけ見ても深みが全然違うの分かるやん」「うーん」「何でそういうことを言うかなー」などとブツブツ楽しんだ。それは・・・やっぱりやめます。この話。ただの、みんな似てる、の話かもしれません。大事な話な気もしますが。
さて、アーティストトークの中で、その絵はポジティブな感覚で描かれたものか、ネガティブな感覚のものか、自分は明るいと感じたが、デイビッド・ドリスケル氏はどういう感覚で以って描かれたものか、という質問が参加者からあった。
それに対して、ロドニー氏は「全てのアーティストはそう答えるかもしれないが」と前置きして、「観る者にどう感じて欲しいということがドリスケル氏は無い、自身にとって記憶であるとか、そういった類のものを描いているだけでのことでしかない」と答えた。
うん。
ぼくはアーティストと呼ばれる者ではないけれど、おそらくそこで言われた通り全アーティストや全日記書きと同じく、そういうものでしかないな、と思う。何を表現しているか、どころか、何を描いたか、さえ難しい。木を描いたように見えるものでさえ、木を描いたと答えることは難しい。デイビッド・ドリスケルは、ピカソやマチスの影響を否定しないどころか、それらしきものを作るという。それが何を描いているのか、ぼくは微かに知っている。ぼくも(まだ言う)ゲルニカや、ほうろう引きのシチュー鍋や、両腕を上げたオダリスクを模写してきた。デイビッド・ドリスケルも、ぼくも、ピカソやマチスが描いていたものと、そこにある得体の知れないものを描いている。少なくともぼくはそんな気がしている。
ドリスケル氏の話として、その町に行って、その町になって(町になるなんて言い方は無かったけれど)描くのだというものがあった。北アフリカや、中米や、カナダとの国境や。
それもぼくはよーく分かるのだ(ごめんなさい)。そこを描きたいとか、撮りたいとか、書きたいとかいうのではなく、そこの力を借りに行く。借りるなんて烏滸がましい(漢検準一級)。そこの力を絶賛しに行く。これは、ピカソやマチスの絵を描いたり、ピカソやマチスのように描くことと似ている。
アフリカンアメリカンに関する質問もあった。アメリカで生まれた作家がアフリカンアメリカンの名の下に作品を作る時、実際に住んだことのないアフリカのことや記憶をどのように作品に映していくのか、映していけないというのではなく、どういう感覚なのか、というようなものだった。
その質問に対してマネージャーのロドニー氏が答え、訳者の彼が訳したのは、デイビッド・ドリスケルはアフリカにも何度も旅をしている、というものだった。この回答が全てなのか、ぼくには分からない。しかし、この答えはこの答えで何かを射ているようにも思うし、足りない何かを語ることは野暮、というものなのかもしれない、とも思った。
訳者はなぜか訳さなかったけれど、ロドニー氏は、日本人の作家というものを例にしてもう少し話したように思う。ぼくの英語力が足りないばかりに、全く紹介出来ず、また、想像するしかないのだが、アメリカで生まれた日本人作家というものは、たとえ日本で暮らした経験がなくとも、そして、日本的なモチーフをたとえ扱っていなくとも、そこにはジャパニーズアメリカンとしてのむにゃむにゃむにゃ、というような話があったような気がしたが、よく分からない。
アーティストトークのオープニングで、人は出自と深く関わっている、という話があり、これは受け取り方によっては(ほんとにどうかしてると思うけど)「いや、出自など関係ない、みんな同じだ」みたいな話になりかねないわけだが、ぼくは、それならそれでいいけど、ぼくは出自の違いという一つの違いからも何から互いに興味を持ち合って(今日はリスペクトって言葉になってたかな)、交換し合って、そして、順序はどっちでもいいんだけど〈似てる〉と出来たらいいな、などと思った。それが帰路に浮かぶその夜の大きな月だった(月が出てたかどうかは知りませんが)。
88歳の大物とぼくを繋げて話をしたりするのは、ぼくが特別だという話でもないし、デイビッド・ドリスケル氏を引き落とそうとしているのでもない。そういうこっちゃないのだ。ギャラリー編かのこさんで個展をするビッグネームと、視力2.0を測る「c」のようなスモールネームであるぼくとが、まさか似てるなんてことを言うのは恥ずかしいどころか怖いことなのだけれど、そのあたりにある大事なものを考えたい。デイビッド・ドリスケル氏は学者であり、また、歴史学を専攻していた。ぼくは決して学者ではないけれど、小さな知というものを集めて、沼程度の生の器の岸辺に並べているような気がする。こんな貧しいお坊ちゃんがまたなぜそんなことを・・・。
大きな知と小さな知。ビッグネームとスモールネーム。そんな、ニューヨークと日本橋を繋ぐ紙テープの両端を重ねて折り返しては繰り返す物語とか、何とか言いながら、あーおもしろかったー。ぼくがデイビッド・ドリスケルを模写する日は遠くないが、デイビッド・ドリスケルがぼくの絵を模写することはない。はい。
お誘いいただきありがとうございました。おやすみなさい。 (阿部 悟)