EVENT 2012年9月15日(土)開催:評論を書くことを考えてみる会

皆様のお陰で、無事評論の会を開くことが出来ました。ありがとうございました。

今回で7回目。様々なディスカッションが生まれました。

今回のディスカッションでは、

・評論を書くときに、作家からのヒヤリングは必要あるのか、それとも自由に批評者が書くことができるのか。

ということに、議論が盛り上りました。前回から、芥川賞作家:吉村萬一氏がご参加くださり、プロの書き手としての立場から評論についての考え方をご指南いただく機会が出来ました。前回の「評論を書くことを考える会」に参加されたあと、実際に作家の評論を書かれたそうです。「作家と話をすればするほど、作家に引っ張られて、書くのが難しくなる。」との談。

また、会では、出た批評文をもとに、どのように作品を見るの、どのように作品が見えたのか、など、作り手からも見る側からも興興味深いお話を聞くことが出来ました。

 

 

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評論を書くことを考えてみる会
<第7回> 2012年9月15日(土) 14:00~
Gallery AMI-KANOKO
大阪市中央区千日前1-2-6
TEL 06-6214-2595
申し込み制とさせていただきます。
申し込み yukiko@ami-kanoko.com
参加費:大人 1,000円  学生 300円
共催:大阪大学文学部内 上倉研究室(美学)・三宅研究室(アート・メディア論) +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「評論を書く」ということをテーマに、評論文を作り手と作品を前にして発表していただいています。 作品に対する言葉のワークショップです。 読み上げられた評論文から、作品を言葉にする書き手の苦労が見えます。それから、作品を見ているつもりながら、見ていない「鑑賞者」の自分が現れます。 書き手の言葉のお陰で、何度も何度も作品に戻ることができます。それは「見る」とはどういうことなのか、を問いかけられている瞬間でもあります。

毎回、予想を超えます大勢の方にご参加いただいて、椅子の調達などが遅れご迷惑をおかけいたしました。前回より、申し込み制とさせていただきました。 会の中で自己紹介の時間があり、また、一回は、評論について、ご意見を述べて頂くことになります。

前回の参加者は、発表する学生たちや評論の対象となった作家2名以外にもバラエティーに富んだメンバーとなりましたが、(昔から作家の活動を知る鑑賞者やギャラリー運営者、写真家、現代美術作家、陶芸家、詩人、小説家など…etc)口頭発表された評論を聞いて、それぞれの立場からの率直な意見を交換し合えたのは、とても貴重な機会となり、大いに盛り上がりました。

会の修了後、懇親会と称しまして、”飲み会”を予定しております。 評論についてもっと意見があるかた、話そびれた方、是非こちらにもご参加ください。(飲み代 2000円~3000円)

作家:岡谷敦魚(版画)植田麻由(陶芸)

司会  上倉 庸敬 KAMIKURA Tsuneyuki  大阪大学・文学研究科・美学研究室

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画廊を10年していますと、「モノを見る」ということはどういうことなのか、ということを考えるようになりました。私流に言い換えると、どんなふうに見れば自分の得になるのか、自分の身につくか、ということです。

よく作品を見ることができれば、美術はそれでよいのだと思います。
しかし、作品は、その画面だけでは語れない多くの面白い物語を含んでいます。「作品を仕上げる前日、作家は結婚した。」とか、「作家はたった一日で作品を仕上げた。」とか。「この作品は実は失敗である。」とか。その作品のイメージの外側の膨らみの方が、かえって鑑賞者を触発します。それは、やはり、鑑賞者は「作り手はどんな人だろう?」という疑問を常に持っていて、その疑問のヒントを作品が持っているのだと思います。作品は、答えではなく、『ヒント』ではないかと思います。
じゃあ、そのヒントを作品から見つけられるかと、というと意外と難しいです。そういうことを色々とかんがえているうちに、「評論を書くことを考えてみる会」をやってみようということになりました。

会では、順次学生さんがそのとき行っている展覧会の批評文を読んで下さいます。
学生さんが書いて下さる批評文の中には、作家の「人となり」や「作品を読み解く」ヒントを色々とあげてくださいます。作品のモチーフが作家の言いたかったことを表している、や、テクニックが作品にとって重要であるとか。時には、過去の有名な作家と比べたりと。評論の会では、いつも作り手が意識したことのない、作り手の「人となり」を学生さんの書いて下さった批評文をもとにして、皆で探しています。作品と作り手を目の前にして。
最後には、作り手をそっちのけにして、評論を読み合った書き合った仲間達でその場が熱く盛り上がります。作品を通して、人が繋がっていく、そんな感じが致します。作り手には申し訳ないですが。作品を見る幸せは、共感の厚みだと思います。

映画評論や書評があり、それらに書いてあるあらすじや解題を楽しむように、美術評論も身近にたくさんあっても良いようにおもいます。美術評論を読んでから作品を見てもいいですし、作品を見てから美術評論を読んでもいいと思います。美術評論が作品に勝るというものではありませんが、やはり見る人と作品の隙間を埋めてくれるものだと思います。見る人がお得な見方をしてくれるほど、作品は生き生きと記憶に残って、幸せだと思います。作家も幸せだと思います。 中島由記子