NEWS 権藤ミノル パリ展 

権藤ミノル展
パリ 11区 26 Rue keller   75011 Paris    Galerie Akie Arichi
会期 2012/9/20~10/20

新作を中心に15点を展示

 展覧会の案内状

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権藤ミノル パリ展に寄せて     大阪大学・文学研究科・美学研究室 教授 上倉庸敬

権藤実さんは、1956年に大阪で生まれ、東京の多摩美術大学で李禹煥に学んだ。Lee U-Fan は1960年代末、当時の日本で前衛美術の主流だった反・芸術運動に異を唱えて、西欧の近代を批判しつつ、芸術製作の素材そのものを芸術作品に変貌させることを主張、「もの派」と呼ばれる芸術運動の、理論においても実践においても中心にいた作家である。その名はフランスでもよく知られていよう。李には、中国の書を思わせる一連の作品がある。そこでは、書における文字の形と筆の運びが重要な効果をあげている。権藤さんの、今回、出展されている作品は、そうした李の作品を思い出させる。

「大学院を修了したあと」と権藤さんは私に言った、「アクリルガッシュが気に入って、それを用いて具象絵画とよべるような作品を描いてきた。けれど、ここ数年、具象画を描こうという意欲がなくなり、それに代わって現在は、学生時代という、自分の出発点に戻り、あらためて自分の芸術活動を把え直すために、製作している」。権藤さんの近作は、師の李の作品に似て、日本の書における文字の形と筆の運びに目が向けられているが、ただし絵の具は、学校を卒えて以来の、アクリルが用いられている。その作品が具象か、抽象かと問われれば、わたくしたち日本人は、「きわめて具象度の高い、徹底した抽象画」という、矛盾した判定を下すであろう。矛盾した言い方の原因は、権藤さんが描く日本の文字の特性にある。

李禹煥の描く中国文字は表意文字であり、しかも、そもそもの字形を崩さない楷書が多い。たとえば「一」という中国文字は、数の1を意味し、それ以外のものを意味せず、その楷書の字形は、大部分が直線から出来ている。それに対して権藤さんは、日本文字化された中国文字も描くときはあるが、たいていの作品では純粋な日本文字である「平仮名」を描く。平仮名は1文字で1音を示す。字形は、文字を連続して書けるように、そもそもの字形を変形した中国文字が元になっていて、大部分は曲線である。

『日記―時の流れ I』で「も」という文字は「mo」音を示す。「mo」という音を聞けば私はたちどころに、水中で揺らぐ藻、あるいは女性の足下に翻る裳、死者を悲しむ月日の喪を、いちどきに思い浮かべる。藻も裳も喪も、どれも日本語では、「mo」と発音するからである(平仮名は表音文字であり、表意文字でもある)。それだけではない。権藤さんの作品は、下地を塗って文字を描いたうえに、また下地を塗り文字を描き、それを何度も繰り返している。「も」という文字だけでなく、「mo」という響き、さらには藻、裳、喪の、ぼんやりした輪郭も、幾層にも分かたれた濃淡によるグラデーションのなかで、浮かんでは消え、消えては浮かぶ。過去についての、きれぎれの記憶が、形を得て、私の網膜に留まる。

「も」という文字は紛れもなく具象だが、その形は「mo」という音を呼び起こし、さまざまな意味をたぐり寄せ、その意味にまつわる私の思いを、とりとめもなく甦らせる。きれぎれの思いはきれぎれの記憶と結びつき、そのとき私は、なにかをやり残していると、宙吊りになっているような気分を味わう。だが、権藤さんの作品をとおして私が感じる、その気分は、後悔とか野心とかに染められていない。「さあ、あらためてやってみようか」というような、澄み切った励ましさえ感じる。

出発点に立ち返った権藤さんは、日本に生まれ、日本に暮らして、自分の内側に積もってきたものに、気づいている。なつかしい李先生を、自分が自分のものにしていることに気づいている。権藤ミノルは、無私を担保にして、いま新しい出発点にいる。

 

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95ページもある、パリで発行されているギャラリーガイド。
パリ内の美術館の企画展と、ギャラリーの展覧会情報が掲載されている。地図付なので非常に便利。
各ギャラリーで配布されている。これ一冊を手に入れると、パリでのギャラリーめぐりはスムーズに行きます。