NEWS 吉村萬壱 人間が狂うということについて トーク―ショウの内容

 

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・中学生くらいから精神病院という場所に興味がありました。

・理由の一つに、世間の大人の話は、聞いたまま見たままを話し、実にくだらないと感じていました。

また、世間では至る所で名前が決まっていて、役割が決まっている、そのA=Aという状況に飽き飽きしていました。

・作家ドストエフスキーや島尾敏雄なども、狂気について書いています。

・しかし、壊れた心を小説にということは非常に難しいです。「○○さんが、発狂した。」では小説になりませんから。

・薬物や瞑想などによって ”行ってしまう” 状況になると、身近にある”傘”が自分に向かってしゃべりだすとか、そんな不思議な状態になることがあります。この場合、自分の脳は普段の状態と違う状態になっています。つまり現実は一つではなく、認知の仕方によって多様な世界が存在するということです。従って我々は ”本当の世界”を見ていない可能性があります。

・統合失調症は、人間が狩猟民族であったころの脳の古い層の顕在化であると、精神科医の福島章は書いています。

この方の主張はよくわかります。常に人間が臨戦態勢であった過敏な頃の脳を、こういった病歴の人は残しているのではと推測できます。狩猟採集時代は、被害妄想的な機敏さこそ生き残るカギでしたから。

・僕は、A=Aではなく、A=Bの世界に憧れを感じるのです。つまり、傘=傘 でなはなく、傘はそれ以上のものであるとすると、そこにものすごく豊かなものがあるとおもうのです。

この辺りは、狂気をロマンティックにとらえているところがあります。

同時に、自分が”まとも”だと思っている人が最も恐ろしい。

・支援学校の教師を十数年間しました。教育されるべきは、支援学校の生徒より近隣住民の方だとつくづく感じました。

このあたりも、他者に対して許容する力を環境が育めば、もっと豊かだと思うところです。

もう一点、僕の中には、”社会から隠されたモノ”に対してシンパシーを感じるところが常にあります。

・支援学校では、自閉症生徒と一緒に水遊びしました。

水道の蛇口から出る水を生徒は飽きもせずじゃうじゃぶと遊んでいるのです。いくら注意しても辞めないから、仕方ないと、一緒に水遊びをしました。

この瞬間、無声の水が、なんともいえぬ顔を持つ水に変化して、横にいる自閉症の生徒と一瞬目があって意思の疎通ができました。

こういった瞬間ですね。A=Bになるというのは。

・「人間は、物語なしで生きられない。」「腑に落ちないときは、生きられない」と、思います。

誰もがパン屋さんとして、主婦として、物語を完成させて死にたいと思っているはずです。

先程、統合失調症の方が、物語を書いて病気が寛解したと。そういうことは良く分かります。

 

(この他、実際に病歴のあった方からご質問を頂きましたが、個人的なことが含まれますので、割愛させていただきます。)

 

参考図書

島尾敏雄 『死の棘』(新潮文庫)

福島章  『殺人と犯罪の深層心理~「攻撃願望」というヒトの本性』(講談社+α文庫)

春日武彦 『奇妙な情熱にかられて~ミニチュア・境界線・贋物・蒐集』(集英社新書)—-是非読んでください。

井筒俊彦 『ロシア的人間』(中公文庫)

 

吉村萬壱 著作

『ボラード病』(文春文庫)

『臣女』(徳間文庫)

最新刊 短編集『前世は兎』(集英社)

 

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