この絵は何を言わんとしているのか?
何を描いているのか、なぜ なぜ 意味は?
それを言葉で説明するのは難しい。
こういう考えで表現しました、と言っても
結局表現されたものが言葉なしでこないとだめだ。
こざかしい理屈はいらない。
絵なのだから言葉ではない。
人は生きている間に何をし、何を学び、何を自分のものにするか
と考えることは大切なことだ。
そして自分にとって絵を描くことが考えることに直結する。
何事においても毎日の時間を費やし答えのようなものを探し続ける。
禅問答のような思いが描きかけの絵の表面に重なる。
せっかく生きているのだから何かに興味を持って生きている間にあがく、
というのはおもしろいことだと思う。
結局、今自分自身にできることを全力でやり続ける。
その中で何かが起きたとしても、それを受け入れ前を向いていくしかない。
そこからどうするか、だ。
でもいつまでたってもぐるぐると同じ場所を行ったり来たりの毎日だ。
努力は報われず、正義は滅びる。
だけど、だからこそ挑戦の日々は続く。
前へ 安野慎司
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展覧会をしている限り、多くの人にご高覧いただきたいというのが、画廊主の切なる願いです。
しかし、一年に一度、いや数年に一度、そう思わない展覧会があります。
静かにそっと、私だけがこの空間で、作品を満喫したいと思う展覧会があるものです。
安野慎司の頭の中には、抽象の絵も荒れ狂う海岸を描写する風景画も、印象画を模倣した油画もあり、それらが一貫性の無い様に描きだされています。
二階の和室は、空間を混沌とさせている。天井全体に作品が吊られ、鴨居を突き破るように角柱の造形物がせり出している。キャンバスが直接壁に貼られているが、それはコラージュしてあるもの、描きなぐってあるものと様々で、中学校や高校の文化祭を思い出す人もいる。
順を追って説明書きを読みたい人や、整理されたもの、秩序だった物事が好きな人には、会場全体に広がる混乱が耐えられないでしょう。
どこから見たらいいのか、どれが本当の安野の姿なのか。
彼は何処に向かって行きたいのか、模索しているか、もがいているのか。
それとも、この混乱の状態を故意に作りだして、見る者を笑っているのか?
しかし、無秩序に展示されている作品は、全部が素直な気持ちから描かれたものなのです。
それが証拠に、安野が展示中にかけているレコードは、クラッシク、ジャズ、フュージョン、尺八と様々で、どの音楽をかけても作品と音楽が融合していると、安野は確信しています。
安野が素直に描きたいと望む絵画の幅、深さは、大きく広いものです。
安野が好むレコードがそれを教えてくれます。
ゆえに展示を見ていても、どの方向に安野が大きくなっていくの楽しみなのです。
飽きない展示というのは、作品がそのものが素晴らしいということも一つですが、作り手の将来性が大きい、深いことが大きな要素だと思います。
多くの皆様にご高覧いただきたいと思いますが、まだまだ見えない安野の本当の姿をこの手の中に隠しておきたい気持ちでいっぱいです。
(中島由記子)
1970 | 大阪生まれ |
1995 | 大阪芸術大学卒業 |
個展
1995 | AD&A ギャラリー |
1998 | 安野慎司展 信濃橋画廊 ~エプロン~ |
2007 | 安野慎司展 純喫茶 アナログ RAS HAIR |
2014 | 「 荒野 」 画廊 編 ぎゃらり かのこ |
グループ展
2001 | 姫路市立美術館 ~ART in ART~ |
2002 | ギャラリー 石彫 |
2004 | 尼信博物館 ~無限の源~ |