Boots on the canvas

2016.07.25 - 2016.08.06 [ 1F Ami ]

勝山 信隆

Boots on the canvas

あなたはいかなる像もつくってはならない。     モーセの十戒(出エジプト記)より

勝山信隆/ Nobutaka Katsuyama 2016/July

私は滋賀県安土にある浄土宗の浄厳院という寺院で生まれ育った。
この寺院は織田信長が建立したものであり、キリスト教にも少しゆかりがある。私は大学で版画を専攻した後、僧籍も取得し、今までにいろいろな像をつくってきた。

その主な制作方法としては、作品の表面にひび割れや、剥がれがおき、崩壊しつつあるように見せるため、食用オブラートを用いるというものであった。作品をあえてきれいに仕上げないのは、仏教の諸行無常を表現するという理由があった。

しかし実際には、もう少し稚拙な悪戯的欲求、あるいは破壊的な心理にとらわれてきたことを認めたい。よって今回は、靴の裏に像を彫刻して踏んで描くという、ひどく荒い方法で制作した。

ところで、芸術の歴史を振り返ると、これは宗教画に代表されるような古典作品を、芸術家自身があの手この手で分解し、変形し、複製し、編集してきたものだといえる。これは芸術家の酔狂な発想と、それを戸惑いながらも受け入れてきた市民の寛容さがつくる歴史であり、私はこの歴史を愛している。

既に存在する公共の作品を勝手に破壊、消滅させてしまうことは犯罪であり、テロである。しかし新たな作品を、どのような、またどのようにつくるのか、その行為については本来芸術家のものであり、それがいかに愚かな行為であろうと認めていくほうが望ましい。この愚行の権利こそが芸術の進化を支えてきたものであり、その許容こそが社会の豊かさであるといえよう。

近年、社会は不寛容になってきていると感じる。
世界のどこかでは宗教的な規範意識が高まり、そしてついには兵器と化している。
私の、この国では社会的な規範意識が高まり、他者をたたき、自らを検閲している。

芸術は不謹慎である。
だから必要なのだ。

芸術には、宗教や政治がもはや捨ててしまいそうな「よりどころ」がある。

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