道をつくる

2017.02.20 - 2017.03.04 [ 1F Ami ]

安野慎司
[タブロー] [油画]

安野慎司    2017年 2月

道つくる

三年ほど前 「荒野」と題した個展をやらせていただいた。
その時の自分の心境が荒野のようであったからに他ならない。

発表らしい事もせず、心の端では絵のことが常にあり、悶々とした日々があった。
マイナスな思いやネガティブな感情など、何の役にも立たない、
スタートにすら立てていないようなものだ。

やりたくない事や、やらなきゃならない事をやっていても、
ちゃんと時間だけは過ぎてゆく。
そればかりやっていて一生が終わることだってあるだろう。
荒れ果てた荒野にやりたい事を植え付けてやる。
そのうち鳥が来るかもしれない。花だって咲くかもしれない。
人が来て笑顔になれるかもしれない。
道をつくるとはこういう事なのではないかと思うのだ。

今僕らは何かやっている。それは前日までの積み重ねの続きをやっている。
広々とした未来がある?
ゲームや博打のような一発逆転など、人生には無いと思っている。
過去にやってきた事が今につながっているわけで、今日と言うのは過去のかたまり
みたいなものだ。
まだ来ていない明日の事はわからないが、
今日が昨日の続きだという事はよくわかる。
結局今をどうするかで道は変わる。
いつでも始めるのに遅くない。
始めないよりはマシだ。

そう思うと、 もう、 つくるしかない。

****************************************************************

展覧会の最後の日に寄せて 中島由記子

展覧会の会期中、しょっちゅう作品が変わるのです。

200点画廊に持って来た作品のうち、おおよそ150点を掛けているのですが、作家にとってどれも代打の作品ではなく主役なのです。
画廊が終わった後、夜行動物のように架け替えています。
そのたびに他の作品の場所も変わります。

展覧会が始まれば、1mmも作品を動かさないやり方が普通です。
鑑賞者に固定観念に囚われないで見て欲しいと芸術家は願うのですから、芸術家自身も既存のやり方にこだわる必要はないのです。日々作品が代わるのは、画廊の壁面をパレットのように描き足したり、塗りなおしたりしている作業をみているようで面白いものです。

3度目の展覧会となり、レコード盤に針を落として、音楽を掛けるのにも慣れました。作品にはジャズが似合います。
今、レコードは不安定なトランペットの音が流れています。
不安定な音が作品とコラボレーションしています。

150点の作品のイメージは多様です。女性が砂漠をとぼとぼ歩くものや、黒く分厚く塗り込めらた背景に一輪の花、数字の羅列など様々で、その多くは実験的な描いているように感じます。

それらが、存在を故意に中心を外すように、狙いを定めないように、無選定のように天井から床までぎっしり作品がかけられているのですから、多くの見る人は、その作品の量とイメージの多様さに不安定な感覚に陥ります。

”何を求めて描いているのか。””見せたいもの、伝えたいメッセージは何か”と。
明らかに作家が何か中心を探ろうしているのは分ります。

それは、悪戯に真ん中を射抜くことを嫌っているのではなく、むしろ自信の作品の真ん中を焼き直している作業にみえます。
今回の作品は。身体性が濃くなったように思います。描きながら躰が動いているというのでしょうか。頭だけで描いている作品は、何故かつまらないです。
内容に奥行きがあっても、画面は小さいです。繊細な筆致も身体と呼吸との繋がりで出来上がります。
ここ数年、描いてきて、躰が手が同じ呼吸で動き始めたように見えます。

キャンバスの油絵具そのものの強さを感じますが、むしろそれは心地よく見えます。
その油絵具の質感が柔らかだからでしょう。
ルーブルやプラドにある傑作は油です。
これに負けじと向かわないと、歴史からは外れるでしょう。
学ぶということは、古典の中で抗うことだと思います。


安野 慎司

1970 大阪生まれ
1995 大阪芸術大学卒業

個展

1995 AD&A ギャラリー
1998 安野慎司展  信濃橋画廊  ~エプロン~
2007 安野慎司展   純喫茶 アナログ RAS HAIR
2014 「 荒野 」  画廊 編  ぎゃらり かのこ

グループ展

2001 姫路市立美術館  ~ART in  ART~
2002 ギャラリー 石彫
2004 尼信博物館  ~無限の源~

 

 

 

安野 慎司detail

Exhibition @ami-kanoko

EXHIBITION PHOTOS